2010年12月06日
鬱病と自殺

昨日、沼津まで経営・医療のシンポジウムを勉強しに行ってきました。
その中に藤枝市立総合病院の心療内科の福島一成先生のお話がありました。
鬱病の治療に関するお話なのですが治療困難な患者さんが医療者自身の意識改革に伴い本来の人間らしさを取り戻し、回復される事を何度も経験されたお話でした。
患者と医療従事者は病気を互いに治療していく同志であると仰いました。
鬱病の痛さは精神疾患であるが故に他人にはわかりません
しかし先生はその痛みのレベルを例えて言うと骨が折れた痛みと同じだと仰いました。
薬を飲まなくてはいられないとてもつらい痛みだそうです。
お話を聞いているとスピリチュアル的な観点からも相似する事があるように思えます。
魂の共鳴ともいうのでしょうか
私は子供の頃から鬱病の方を見てきました。友達のお母さんが鬱病だったのです。
そしてその方が自殺した事もまだ小学生だった私にはショックでした。
スピリチュアル的な観点から言うと憑依と言う言葉があります。
類は友を呼ぶという言葉があるように同じ次元での考え方をされている人は同じような方が集まってきます。友達のお母さんが遭う時々に人が変わっていたのです。
この人、〇〇君のお母さんじゃないと思う時が何度もありました。
良くない事を起こした時に魔がさしたという言葉を使いますが、まさに普通ではできない事を憑依される事によりいとも簡単に引き起こしてしまうと言う事があるようです。
私なりの解釈ですが、憑依霊を跳ね返すほどの力がないと感じられる方には宗教をお勧めします。
宗教と言うと信者からお金をむさぼるだけの物質主義のとんでもない宗教も沢山ありますので抵抗を感じられる方もいるようですが
神教もよし仏教もよし自分の心の眼でよく選んで自分の心の支えになる神様を頼ってみてください
そうする事により自分の波長が輝き始め良き思いの方が自分の周りに集まってきます。
実践的医療と心のケアはすでにアメリカやイギリスなどにはすでに取り入れられスピリチュアルカウンセラーという言葉も良く聞きますが自殺率世界4位の日本には必要性を感じます。
Posted by 環マテ at 13:05│Comments(0)
│スピリチュアルな世界